特に福音書に「わたしについてきたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と記されているように、主イエスが日々キリスト者に示し給うておられるその時が近づいたとき、フランス全土に大々的なキャンペーンがなされた。
その結果、もし誰かが全霊で神に従うよう努め、信心深く十字架を背負おうと欲したならば、直ちに聖墳墓への道にたどり着くことをいとわなかった。
というのは、ローマ教皇が、大司教、司教、大修道院長、司祭たちを従え、たちまちアルプスを越えて、こう言って言葉巧みに説教し始めたからである。
「もし魂の救済を望むならば、恭順の気持ちで主の道をとることを躊躇してはならない。たとえたくさんの財がなくても、神の慈悲が十二分にあてがわれよう。」
教皇はこうも言った。
「兄弟たちよ、あなたたちはキリストの名のために多くを甘受しなければならない。 たとえば、不幸、貧困、窮乏、迫害、困窮、病気、飢餓、渇きなどを。 主が弟子たちにこう言っておられるからである。 『あなたたちは私の名のために多くを耐えなければならない。』 さらに言っておられる。 『人の前で語ることを恥じるな。わたしはあなたたちに口と言葉を授けよう。』 さらにこうも言っておられる。 『豊かな報いがあなたたちに伴うであろう。』」
この教皇の言葉が漸次フランス全域に広がると、フランク人たちはこれを聞いて、直ちに右の方に十字の印を縫いつけ、心を一にして、かれらを地獄の力から救い給うたキリストの足跡をたどるべく宣言した。
こうしてかれらは祖国を後にした。
フランク人の実績 第一次十字軍年代記
参加者の皆さんよろしくお願いいたします。
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